海王丸走錨・乗揚げ事故について (On Dragging Anchor and Grounding of the Training Ship KAIWO MARU) 海洋会富山支部 |
1.はじめに |
平成16年10月20日、台風トカゲ(以下、台風23号という。)による強風と 波浪による海王丸の走錨・乗揚事故が発生した。幸いにも、船体損傷、重傷で はない人身傷害だけで済んだ。しかし、ほぼ同じ場所で起きた、平成元年 3月 8日に起きたタンカーの走錨・乗揚海難のように転覆していたら大惨事に至っ たであろう。 海王丸は、我々のマザーシップであり、独立行政法人航海訓練所(以下、航 海訓練所という。)は、船舶安全運航を教えるメッカである。我々は海王丸走 錨・乗揚げ事故について、大変残念に思う。地元富山では、この事故について 大々的に地方のマスコミによる報道がなされた。地元の海技有識者としての我 々は、海技にまったく素人の一般人やマスコミから原因等を聞かれ、その対応 に苦慮したこともあった。この事件の原因を簡潔に表現すれば、「伏木富山港 の富山検疫錨地に錨泊したまま、富山湾付近を通過する低気圧や台風をやり過 ごすことは不適当という、多くの船長達の常識を、海王丸船長が知らなかった、 または、知識として知っていても、そこから避難する意志決定が出来なかった こと」、「予想をはるかに超えた気象・海象であったこと」、及び「台風対策 を現場の船長に委ね、特別台風対策に係る指針は設けてはいなかったこと等、 航海訓練所の安全管理体制が不備であったこと」である。 本報告書は、地元海技有識者として素直に今後の地元海難の再発防止のため に、富山港での海王丸座礁事故について小論にまとめたものである。 (文責:山崎祐介) |
2.海王丸の走錨・乗揚げ事故 |
富山港沖に停泊していた航海訓練所の練習船「海王丸」が2004年10月20日 夜、台風23号による観測史上例を見ない北東からの暴風に巻き込まれ、走錨 して富山市の富山港防波堤に座礁した。乗組員及び実習生ら167人は21日15 時頃までにヘリコプターや防波堤と海王丸との間にロープを張って救命装置 で防波堤に渡る等の手段により全員救助された。幸い死者はでなかったが、 18名が骨折などのけがを負った。 この事故の詳細については横浜地方海難審判庁の海難審判裁決録に報告 されている。 |
横浜地方海難審判庁裁決 |
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写真1 座礁中の海王丸(撮影:2004年10月22日) |
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写真2 「海王丸」の引き揚げ作業 (撮影:2004年11月25日) |
(担当:河合雅司)
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3.当時の気象・海象 |
3.1 概要 |
台風23号は富山県ではまれに見る暴風をもたらしたことから、この海王 丸の走錨・乗揚げだけでなく、富山県内の各所に大きな被害をだしている。 これについて、特に風、波について、地元の気象台、港湾事務所等の実測 データを基に、地域の特色性を考慮した見解を記す。 |
3.2 風について |
気象庁では日本全国にアメダス観測網を配置して、風向風速を含めた気 象の常時観測を行っている。伏木富山港周辺のアメダスポイントは図3.1 に示す氷見、伏木、富山、魚津、である。また、同図に示す富山商船高等 専門学校の臨海実習場(以下、富山商船実習場とする。)でも独自に風向・ 風速の常時観測及び記録を行っている。同図には、それぞれの位置及び高 度、風向・風速計の設置高度を示してある。まず図3.2に示しているのは、 ペンレコーダで記録された、富山商船実習場における風向・風速の観測 データである。ここの風向風速計は海岸線から約500m内陸部にあるが、 設置高さが海面上約30mであり、途中に風に影響を与える大きな建造物も 無いため、海岸部におけるデータと近いものであると思える。細線の連続 が瞬時値で、中央部の太線が移動平均値を示している。また、風速の記録 は30m/s、90m/sレンジの自動切換えであり、風速が強くなった20日の17時 から21日の2時までは90m/sレンジとなっている。ここで記録されている最 大瞬間風速は20日の20時半頃に42.1m/sである。そして図3.3は先に述べた 3箇所のアメダスデータ(気象庁HP[1]で公開されている。)と富山商船 実習場での観測データを同一の時間軸(10/20の9時から10/21の9時)に示 したものである。ここで、アメダスのデータは毎正時前10分間観測の平均値 である。富山商船実習場のデータの平均値は同様であり、最大値は毎正時前 の1時間内における値である。この図より台風23号における暴風域は、場 所的には伏木富山港沖、時間的には20日の夜間の21時前後がピークであり、 各地において一致している傾向である。こうした現象は台風の時間的な発達 度合いと、富山湾周囲の地形性効果によるものと思える。これに対する理論 解析的なアプローチ[2]も進められているが、ここでは客観的な事実を述べ ている。 |
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図3.1 氷見、伏木、富山、魚津のアメダス、富山商船高等専門学校の 臨海実習場観測位置 (アメダスの位置と高さは気象庁HP[1]による) |
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図3.2 富山商船実習場における風向・風速の観測データ (細線の連続が瞬時値で、中央部の太線が移動平均値 を示している。また、風速の記録は30m/s、90m/s レンジの自動切換えであり、風速が強くなった20日 の17時から21日の2時までは90m/sレンジとなっている。) |
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図3.3 図3.1の各観測点における風速の10/20の9時から10/21の 9時における変化 (アメダスデータは気象庁HP[1]より抜粋) |
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図3.4 富山を襲来した過去の台風データにおける最大瞬間風速・ 風向の分布 (富山地方気象台提供データ[3]より最大瞬間風速20m/s以上を抜粋) |
3.3 風 |
伏木富山港沿岸域においては、20日のおおよそ18時から21日のおおよそ 0時まで、風向はNからNNEで一定であり、平均風速が約20〜25m/sの風が吹 き続けたのである。そして、最大瞬間風速では富山地方気象台で42.7m/s、 富山商船実習場で42.1m/s(20日20時半)であった。海王丸の記録におい ては20日の21時頃に船の測器で60m/sを観測したとある。この時点では海王 丸は、まだ走錨初期であり陸岸より約1km程度の所にいたと思える。 ここでNからNNEの風向であったとすると周囲に遮るものは皆無の状況なの で、陸上のポイントより強い風が吹いていたことは充分にありえる。ここ で元大阪商船の船長であり、日本船長協会会長を勤められた川島裕氏が、 昭和34年に名古屋港外で伊勢湾台風を避泊した際の記録[4],[5]を記されて いるので、この関連部分を紹介させて頂く。昭和34年9月に主に東海地区に 大きな被害をもたらした伊勢湾台風は陸上における最大瞬間風速の観測は、 名古屋において45.7m/s、伊良湖において55.3m/sであった[1]。この時に 川島氏が船長を勤める大阪商船の「めるぼるん丸」は強風に耐え切れず走 錨をし、5km程流されて陸岸より約2海里の地点に至った。この時は本来 なら座礁する水深であったが、海から陸方向への風浪の吹き寄せと、おり からの満潮の効果から高潮状態となっていて、座礁の難は逃れた。そして、 この時の風がピーク時には最大瞬間風速50m/s以上を常時に観測するよう になっている。こうしたことから、今回の台風23号において、陸上観測が 最大約42m/sで、海上では約60m/sは充分にありあえる状況であり、またこ れが常識であるとも思える。 富山商船高専や海洋会に在籍する海技関連者で、この富山に30〜40年居住 する複数者の意見として、これ程の風が吹いた台風は覚えが無いという 意見であった。そこで、図3.4は富山地方気象台HP[3]で提供している、 富山を襲来した過去の台風データの一覧より最大瞬間風速・風向をまとめ たものである。ここでの観測は1940年(昭和15年)より開始されている。 これを見ると最大瞬間風速が35m/sを越えるものは非常に稀であり、その 風向はW〜SEである。これより、今回の台風が風速と風向の両面の条件から 見て、富山地方では非常に特異な状況であったことが分かる。 |
3.4 波について |
微風が吹き始めると風による応力と海面における表面張力による海面 の波動が発生し、これが「さざ波」となる。そして、風速が上がりその 応力が大きくなると、これにより移動した海水の重力とにより波動が発 生し、これが「風浪」となる。そして、こうして起きた波動が海水を媒 質として遠方に伝搬していくのが「うねり」である。この風浪が発達す るためには、元の応力を発生させる風の吹続時間と吹送距離が必要であ る。例えば、風速15m/sの風が一定している場合、吹続時間が約20時間、 吹送距離が約500kmに達すると波高は約5mまで成長する[10]。能沢源右 衛門氏の調査では、これまで船舶が各大洋で測定された多数の波高を総 合すると、一般に波高6mを越える頻度は10〜15%に過ぎないとある。又、 中には波高13〜15mという信頼すべき報告もあるが、これよりはるかに高 い波が形成されるのはまれであるとされている。これは、風は無制限に は強くならず、また風向も常に時間的、場所的に一定では無く、吹続 時間と吹送距離の限界があるためである[7]。 筆者ら富山商船高専の教員は、教員研究や学生実習等のために実習船で 富山湾の海上に出る機会が多い。ここで常に感じている事は、北から 北東よりの風の場合、同じ風速の、南よりの風の場合に比べて、風浪の 発達は確実に大きいものである。また強い北から北東よりの風が半日 から1日程度吹いた後は、北よりのうねりが翌日以降に常に存在する ものである。こうした原因としては、富山湾が北方向に大きく外海で ある日本海に開けていることもあるが、この湾内の海底地形に起因する ところもある。図3.5に日本列島西岸の中央部に位置する富山湾の配置 を周囲の海底地形と共に示す。[11]この富山湾は北部外海から繋がる 水深が約1,000mを超える海底谷が陸岸近くまで密接する構造となって いる。こうした地形に起因して、「寄り回り波」が起り沿岸域に災害を 与える場合も多い。これらの概要を次項に示す。 |
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図3.5 富山湾の海底地形[8] |
3.5 寄り回り波 |
富山湾は図3.5に示すように、北東方向からの波浪が侵入しやすい形状に あり、特に北海道西方沖での風浪を源とする長周期のうねりが、卓越波浪と して侵入する場合が多い。こうした中で、富山湾には古くより「寄り回り波」 と称する特異波浪が観察され、船舶や沿岸域の建築・土木設備や人命に大き な被害を与えてきた[9]。この現象は富山湾から遠く離れた北海道東方に発 達した低気圧がある場合に発生しやすいものである。 これは富山湾特有の大きな波高を持ったうねりであり、湾内の強風が収 まった後突如として来襲することがある。図3.6に発生過程を示す。その 原因は、主に北海道西方海上で発生した風浪が、うねりとして富山湾に伝搬 してくることにある。北海道あるいはその東方海上に発達した低気圧があり、 北海道西方海上で北よりの強風が長く続くと、この海域で高波が発生し、こ の高波が南南西に伝搬していく。こうして富山湾まで伝搬してきた波は、 図3.5に示した富山湾の水深分布の特性により、エネルギーが減衰されること なく沿岸に達する。結果として、風が静穏である時に、突如として沿岸部を 大波が襲うことになる。2004年の12月6日には、富山湾には朝方から夕方にか けて、この顕著な寄り回り波が襲来した。この日の朝9時の天気図を図3.7に 示す[13]。この日は北海道東方海域で発達した低気圧が停滞する状況であり、 これにより富山湾では数mに達する沿岸波高が観測されている。この寄り回 り波が顕著に発生するためには、図3.7に示した気圧配置が1〜2日程度以上 に停滞をしている必要がある。こうして北海道西方海域で発達した風浪が、 富山湾に、周期で約11〜12秒、波長で約100〜120mのうねりとして伝搬してき た時に、沿岸部で顕著な寄り回り波が発生しやすい。また、同じ富山湾の沿 岸でも、この影響が顕著な地域と、そうでない地域とが存在する。こうした 現象が起こるのは、図3.6で示したような富山湾の複雑な海底地形に、特有の 性質を持った波が伝搬するに当たり、特別な増幅器やフィルター効果を及ぼ していると思える。 |
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図3.6 寄り回り波の発生過程 |
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図3.7 寄り回り波発生時の天気図[10] (2004年12月6日9時) |
3.6 波浪の実情 |
富山湾においては北方から風浪やうねりが侵入する際には、常に多かれ少な かれ沿岸部で波高が増大する現象が発生していると言える。これは富山商船高 専で沿岸部を頻繁に航海する職員の共通した見解である。ここで図3.8のBは海 王丸が当初の錨泊した地点を示している。富山東防波堤灯台より約1,900mの水 深約17mの地点である。ここは、後一海里でも沖に出れば水深が50〜100mになっ てしまう地点である。こうした場所にしか錨地を設定できないのが、この富山 湾の海底地形に起因する、特定港である伏木富山港の現状である。 図3.8中に示した@、Aの点線における海底地形断面を図3.9に示す。ここに 示すように沖に向かって海底地形が急峻に落ち込んでいることが分かる。一般 的な理論によると、沖から来る深海波が、水深がその波長の約1/2より小さくな るとわずかに減るが、約1/10の所まで来ると波高が増し始め、約1/20になると 急速に増すとされている[11]。富山湾の急峻な海底地形では、波高の発達が沿 岸部でやはり急峻に行われることが想像できる。 国土交通省北陸地方整備局伏木富山港湾事務所では富山港と伏木港の沖の海 底に波浪計を設置して、有義波高、有義波周期、波向きの常時観測を行い、この 情報をほぼリアルタイムにホームページ[12]に公開している。図3.8のAに富山 港沖の観測点を示す。沖合い約300m、水深約19m地点である。この波浪計は海底 に設置され、圧力センサーの変動から波高を、上方に超音波のマルチビームを 照射し、この反射波のドップラーシフトから波速と波向きを求めている。そし て、周期を、これらの計測値より算出している。図3.10は、伏木富山港湾事務所 より提供されたデータにより、10/20の10時から10/21の10時までの、この計測値 の変化をグラフ化したものである。これより波向きは常に北から北東であったこ とが分かる。そしてピーク時には6mを越える有義波高であったことが分かる。 つまり実際には、その倍程度の10mを超える波高が存在していたと思える。この 海王丸が走錨をした時間帯においては、外洋でもまれな波浪が存在していたわけ である。 |
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図3.8 「海王丸」錨泊位置周囲の等深線図 |
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図3.9 図3.8の点線@、Aにおける水深変化 (富山東防波堤灯台Cを基点とする。) |
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図3.10 海底設置波浪計(図3.8のA)における10/20 10時〜10/21 10時の 有義波高・有義波周期・波向の変化 (伏木富山港湾事務所提供データ[12]による) |
尚、気象海象への考察の最後として、潮汐の変化について記しておく。 図3.11には10/20の9時から10/21の9時における実測潮位と潮位偏差(実測 潮位−予測天文潮位)を示している。[1]元々、日本海における一日の 潮位変化は少なく、富山湾においても数10cm以下の場合が殆どである。 実際にここに示す実測潮位の変化は約40cmである。また、偏差を見ると、 ちょうど台風の最接近時に偏差が約20cmとピークになっている。これは 台風の中心の低圧部による、海水の吸い上げ効果と波による吹き寄せが 複合したものと思える。しかし、これらは海王丸の走錨及び座礁に大きな 原因を及ぼしたものでは無いと言える。 |
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図3.11 富山港における10/20 9時〜10/21 9時の潮汐変化 (気象庁HP[1]提供データによる) |
3.7 まとめ |
この台風による気象海象については、気象学や海洋物理学の見地からは、 より理論的な見方ができるであろうし、またこれにより明確な知見も期待 する所である。地元の海技関係者の見解としては、この台風では富山では まれに見られる北よりの暴風が伏木富山港近辺に長時間に吹いたといえる。 また、この風が、この沿岸部の海底地形の影響から、やはりまれに見る大 きな波浪を発生させたと思える。 尚、この台風の猛威により、高岡市の伏木万葉ふ頭で、20日夜、岸壁 係留中のロシア船籍の貨客船アントニーナネジダノバ号(4254総トン) が高波で岸壁に衝突し、浸水して横転した海難があった。乗員と乗客約 90人は避難していて無事だった。 (文責:千葉 元) |
4.船舶運用の観点からの海王丸の走錨・乗揚げ事故 |
4.1 海王丸の避泊地は適正であったか |
結論的には、台風をやり過ごす錨泊地としては不適正であった。 富山湾は、能登半島に遮蔽されて北西の季節風を防ぐことが出来るが、 北東方向からの風波に対しては、全く無防備であり、湾の水深が深く、 陸岸にきわめて近い場所で、陸岸を風下にして錨泊することになる。 これらのことから、多くの船長は、昔から台風や発達した低気圧を避 泊する場所として不適当としている。伏木水先人会越前精一会長も 「富山湾における特性を重視すれば、台風23号によって富山湾は一 番条件の悪い北東の風が吹くことが事前に予測されていた。一般船舶 よりも強い風圧を受けるであろう帆船の海王丸が時間的に余裕があり ながら、どうして、安全な海域に避難せずに錨泊で台風をやり過ごそ うとしたのか分かりません」[13]という、また、日本船長協会市川博 康常務理事は「台風23号接近による富山湾の風向は北〜北北東で、 湾内に向かって吹く風であることは容易に予測できたと思います。し かも、勢力の強い台風が接近してくる状況下で、陸上からの距離が1 マイルに満たない海域に錨泊するのはちょっと考えられません。中略 今回の場合は陸から沖に向かって吹く風ではなく逆の場合ですから」 という[13]。 把駐力については、平成9年、新潟、富山3箇所、七尾の実船実験結 果(委員長:山崎祐介、[14])によれば、この付近で良いとされる伏木 の8割弱の把駐力を観測し、観測した5つの地点の中で第3位であった。 良いとは言えない結果ではあるが、日本海側主要港湾では概ね良いと言 える所が少ないことを相対的に考えると「良いとは言えないが悪いとも いえない」程度である。以下に、この錨地の避泊地としての一般的な評 価を理解するために、日本海海難防止協会が行った、調査結果(委員長 :山ア祐介、[14][15]))におけるアンケート調査結果の一部を示す。 航海訓練所は、これらの日本海海難防止協会の調査結果を入手していな かった。また、そのような調査が行われたことも承知していなかった。 事後各地の海難防止協会あるいは研究会に対し、調査等が行われ、その 結果報告書等が出された場合には資料提供するよう、文書により依頼し た。 (1)調査対象 @調査票調査の回答数 平成8年9月〜平成9年2月、そして平成12年7月〜12月に日本海中部海域 主要港における錨泊に関する調査票調査を実施した。回答した船舶数は 図4.1に示すとおりであり、代理店の協力を得て623隻(内、外国船 214隻)からの回答を得た。そして、伏木富山港では159隻(26%) からの回答を得た。 A回答した船舶の総トン数 回答した船舶の総トン数は図4.2に示すとおりであり、その殆どが6000 トン以下であり、そのうち、1000〜6000トンが半数(54%)を占めた。 |
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図4.1 アンケート調査回答数(623隻) |
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図4.2 アンケート回答船の総トン数(109隻) |
(2)伏木富山港の錨地に対する船長達の認識 伏木富山港の錨地の認識については、図4.3に示すとおり、 「常に不安(7%)」、「季節により不安(59%)」、 「出来るだけ錨泊を避ける(14%)」、併せて80%が、 「錨地として適当でない」という評価をした。 |
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図4.3 錨地としての認識(74隻) |
(3)不安の内容 「季節による不安」、「常に不安」と回答した船舶にその不安を聞いた ところ、図4.4に示すとおり、「地理的条件から風浪を遮蔽できない」、 「波浪の影響が大きい」、「錨地が狭い」が56%を占めた。 |
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図4.4 不安の内容(55隻) |
(4)「出来るだけ錨泊を避ける」と回答した船舶の対処方法 「出来るだけ、錨泊を避ける」と回答した船舶の対処方法は、図4.5に示す とおり、前もって着岸時間を確認のうえ、時間調整をして入港着岸すると いうことであった。 |
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図4.5 錨泊を避ける方法(10隻) |
(5)「避泊地として適正であったか」に関するアンケートに寄せられた意見 伏木富山港の錨泊地についての気象・海象に関わる意見・要望を自由記述で聞 いたところ、気象・海象に関わる意見はつぎのとおりであった。 @冬分、北西の風が強い時は大変不安である。ケミカルを積んでいるが、バース が空いていたら着桟していた方が安心である。 A冬は錨泊したくない。錨泊していてもいつ荒天になるか分からない。 B外洋に面しており、良くない。漂泊して着岸を待った方が良い。 C風速だけではなく波高が大きく関係する。外海に面しているため、錨泊につい てはかなり考えさせられる。 D季節風の強いときは錨泊はなるべく避けた方がよい。 E風向波高よりも、潮向により船首方向が向きやすく、冬季でうねりの大きいと きは走錨しやすいので注意を要す。 F北東、北からのうねりに弱い |
4.2 過去の伏木富山港における走錨海難 |
最近30年以内に、冬分の季節風、二つ玉低気圧によって2件の走錨海難 があった。いずれも北よりの風波による影響を受けている。しかし、台風に よる走錨海難は見あたらない。台風等の荒天下に伏木富山港において避泊し ていた船がいなかったからだと考えられる。 以下に、2件の海難審判庁裁決を海難審判裁決録から要約する。 |
4.2.1 平成元年門司地方海難審判庁4号(平成元年6月16日言渡)海難 |
(1)発生日時:昭和62(1987)12月2日午前5時15分頃 (2)錯泊位置:伏木検疫錨地、(36°-48.1N,137°-04.2E) 走錨後の位置:伏木酉防波堤灯台から312°185m (36°-47.8N,137-04.2E) (3)海難船舶 :@ 船種:貨物船 A 国籍:日本 B 総トン数:696GT C 乗組員数・国籍:日本人 7人 D 積荷状態:飼料(とうもろこし) 2000トン E 使用錨及び錨鎖の節数:右舷錨5節、水深9m、 低質:砂 (4)事故原因 :錨地の選定が不適切、停泊当直の怠り、荒天準備不十 分 本件乗場は、海上暴風学報発表下における錨地の選定 が不適切で、風波の影響を強く受ける伏木宵山港外港 に錨泊したばかりか、錯鎖伸出土不十分のまま停泊当 直を配置しなかったため、波浪の増勢に対処できず、 走錨したことに因って発生したものである。 (5)事故概要 :飼料2,000トンを積み、11月28日2240鹿児島県志布志 港を出港し伏木富山港(伏木区)に向かった。12月1日 2000頃港外着、伏木検疫錨地(水深9m低質砂)に右舷 錯5節で錨泊した。錯拍後、船長は1人で1時間毎に見回 りを実施していた。2日0500の見回りの際、走錨してい るのに気付き直ぐに主機を起動したが間に合わず、0540 伏木酉防波堤灯台から〈312〉185mに乗揚げた。 (6)走錨発生時:@ 天気:みぞれ A 風向:北西 風速:6m/s の気象海象 B 波浪:北西 4 C うねり:北西 4 状況 D 視程:3km E 最大瞬間風速:18.3m/s 風向:北北西 2日02時30分 F 最大風速 :7.6m/s 風向:北北西 2日02時40分 G 警報・注意報:波浪警報、強風注意報 (7)気象概況 :1日は日本海と関東沖の2つの低気圧が発達しながら 北東に進み、その後次第に冬型が強まり、2日も冬型の 気圧配置が続いた。1日昼頃から風や雨が強まり、夜には 雨が雪に変わった。 (8)損害 :舵に損傷、船底に破口 |
4.2.2 平成2年長崎地方海難審判庁8号(平成2年7月27日言渡)海難 |
(1)発生日時 :平成元年(1989)3月8日01時180分頃 (2)錨泊位置 :富山検疫錨地 富山酉防波堤灯台から030°1180m (36°-46.3N,137°-14.3E) 走錨後の位置:同灯台から055° 230m (36°-45.8N,137°-14.0E) (3)海難船舶 :@ 船種:タンカー A 国籍:日本 B 総トン数:999GT 全長:76m C 乗組員数・国籍:日本10人 D 積荷状態:空船 E 使用錨及び錨鎖の奇数:右舷錨5節、水深13m、 底質 砂 (4)事故原因 :気象海象に対する配慮不十分、停泊当直の怠り 本件乗揚は、夜間、北方に開口している伏木宵山港に錨泊するにあた り、気象情報の入手が不十分のまま、守錨当直などの走錨に備える措置 をとることなく錨泊し、気圧の谷の通過と冬型の気圧配置に伴う増勢し た北東の風浪を受け、防波堤に向けて走錨したことに因って発生したも のである。 (5)事故概要 :3月7日1730直江津港を出港、同日2230頃伏木富山港 (富山区)富山西防波堤灯台から030°約1180m付近に右舷錯5節で錨泊 した。錨泊地の水深11m底質砂であり、該船は空船で喫水船首約1.15m、 船尾約3.2mであった。船長は適切な気象情報の入手を怠り荒天を予想出 来ず、守錨当直を立てずに就寝した。8日0118頃ドスンという衝撃で全点 飛び起きたが、既に右舷を岸側に向け消波ブロックに乗揚げていた。 (6)走錨発生時の:@ 天気:曇り A 風向:北北東、風速:14m/s 気象海象状況 B波浪:北北東 4 C うねり:北北東 3 D 視程:18km E瞬間最大風速:20.3m/s 風向:北東 8日02時10分 F最大風速 :12.8m/s 風向:北東 8日02時20分 G警報・注意報:強風・波浪注意報 (7)気象概況 :7〜8日にかけて強い冬型の気圧配置であった。 (8)損害 :右舷側外板及び船底に破口を伴う凹損、乗組員3人が 死亡、2人が負傷 |
4.3 海王丸は七尾湾に避難すればよかったか |
伏木水先人山元賢治氏は、20日早朝の入港作業を終え09時頃に事務 所に帰ってほどなく海王丸が富山湾に入り、富山区の沖合に投錨したこと を知る。台風の影響がまだ生じていなかったが、その進路から富山地方は 相当の大荒れになることが予想されていた。現在の投錨海域が強風に耐え るのに不向きであることを熟知していた山元パイロットは「海王丸に伝え なければ」と09時30分頃に代理店に電話して「七尾湾への避難か安全 な海域に回避するよう、船長に勧めてほしい」と要請した[13]。しかし、 海王丸は動かなかった。 前述の錨かきの実船実験は、投錨し、錨鎖を伸ばし錨がかいた状態で、後 進エンジンをかけて錨を走錨するまで引っ張り、その張力によって比較検 討するものであった。七尾港では、富山区の4割程度の錨鎖張力しか観測 できず、きわめて悪い結果が出た。すなわち、錨の爪がかき込みにくい、 錨が埋没しにくい状態であった。また、北東からの風、うねりは、能登島 により遮られる。事件当日の午後では、風が強くなり、しかも、入り口が 狭いので馴れていない人には入りにくい。 この2点を考え合わせると、七尾港に午前中シフトすることが出来れば、 錨かきが悪くて走錨したとしても、適切に機関を使用すれば今回の事故は 起きなかったであろう。 |
4.4 海王丸にとってどのような行動がベストであったか |
前述のアンケート調査において、図4.6に示すように、伏木富山港に停 泊する船の意図する避泊地は、佐渡島周辺46%、飯田湾24%、七尾湾 14%であり、その理由は、図4.7に示すように「他に適当な場所がない」 が29%となっている。飯田湾は一部の狭い海域を除いて、北東からの風、 うねりには弱いので、台風23号の場合は、佐渡島周辺しか良い避泊地は ない。従って、富山区に来る前に、安全第一とし、佐渡島の島影に避難し て台風の通過を待つのがベストだった。そのとき、3隻の大型フェリーは 佐渡の島影に避難していた。 富山区に錨泊した後を考えると、風や、うねりが大きくなるのを予測し、 そこにとどまらず、午前中に七尾に向かへばよかった。さらに、富山区に アンカーし、時間が経過してしまった場合を考えると、午前中、港内のう ねりの影響の出来るだけ少ない岸壁にシフトすればよかった。この場合は、 港内に侵入するうねりに対応するために、アンカーを入れ、係留策を長く とり、タグボートを使用する。現に、伏木富山港、新潟港では、錨泊船は なく、新湊区、新潟港の岸壁係留船に大きな被害は無かった。 それが出来なければ、早めにアンカーを揚げ、湾口に向けて沖に出て、 ちちゅうすればよかった。 |
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図4.6 伏木富山港からの荒天避泊地(66隻) |
(3)荒天避泊地の選定理由 避泊地選定の理由は図 に示すとおりであった。 |
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図4.7 荒天避泊地の選定理由(66隻) |
(4)アンケートに寄せられた意見 @冬場の日本海での避難港が絶対的に少ない。人工的にでも設備されれば 安全となる。 A荒天の場合、必ず当直見張り員を置くということを条件に防波堤内錨泊 を許可願いたい。 筆者は、船長達のこれらの意見は痛いほど理解できる。 (文責:山崎祐介) |
5.水路誌の荒天避泊に関する情報 |
一般的水路情報として、船員から最も頼りにされている、水路誌におけ る避泊情報[16]はどうであったかを調査した結果を次に紹介する。 富山湾は、本州から北方へ突き出した能登半島を北西方向に控え、北東方 向に湾口を開いた袋状の湾である。この地形が季節風による北西からの波 浪を遮断し、特に冬季は他の日本海沿岸と比較して、波も少なく平穏な海 域となっている。ところが、この富山湾の地形は北東からの波浪に対して は逆に条件が悪く、船舶の破損や走錨・乗り揚げ、海岸浸食等の災害が発 生している。毎年12月〜4月頃に、低気圧が日本海を通過し、その後風 や波が治まり、海面も静かになった頃に突如として富山湾沿岸に押し寄せ、 災害を引き起こす寄り回り波は特に有名である。そして、富山湾のもう一 つの特徴は急深な地形になっていることであり、特に庄川以東は、急深で あり海岸線から1〜2海里沖にでると水深100m〜200mになっていることで ある。このため、錨地は狭く一端走錨を始めると乗り揚げを回避すること が困難である。 海上保安庁水路部編集の本州北西岸水路誌には、2ページ半の紙面を割 いて、富山湾に関する航海・停泊の指導案内が記載されている。そして、 富山湾に関する紙面の約半分を用いて寄り回り波の危険性について記述し ており、 "寄り回り波は、北海道西方海域で発生した波浪がうねりとなって富山湾 に押し寄せ、富山湾の急深な地形の影響により沿岸近くで急に波高を増大 し、釣り人や救助に向かった警官が死亡する等の災害を引き起こしたこと もある危険な波である。" ことが紹介されている。寄り回り波は、富山湾が北東からの波浪に弱く、 北東から大きな波浪が来襲する場合、非常に危険であることを私達に教え ているのである。つまり、富山湾は北西の季節風に対しては安全であるが、 移動性低気圧の通過により北東からの波浪が侵入する場合は危険であり、 乗り揚げ座礁事故も度々発生しているということである。寄り回り波は、 注意しなければならない富山湾固有の波であるが、同時に次に示す富山湾 の特徴についても、水路誌に明記しておくべきであると思われる。 (1)急深な地形になっており、錨地が狭い。 (2)冬季でも比較的波が少なく平穏な海域となっているが、北東からの波 浪に対しては危険であり、乗り揚げ座礁事故等が発生している。 (文責:河合雅司) |
6.航海訓練所の安全管理体制はどうだったか |
結論的には、航海訓練所の安全管理体制は不十分であった。 ISM コード(国際安全管理コード、インターナショナル・セーフティ・マネ ージメント)とは,1993年11月,IMO総会において採択された 決議A.741(18)「International management Code for the Safe Operation of Ship and for Pollution Prevention (International Safety Management:ISM Code)」のことである。 ISMコードは,1987年(昭和62年)3月に発生した「HERALD OF FREE ENTERPRISE」号転覆事故(188人死亡)を契機に,英国が 中心となって制定された船舶管理のための規則である。 IMOは,従 来から設備・構造(ハード要件)の基準を作ってきた。しかし,海難事 故の原因は,概ね80%が「人的要因」によるものといわれ,海難事故 防止のためには,船舶の安全運航を確保する体制を構築することが最も 重要であることが分かった。このためには船舶だけでなく陸上の管理部 門も含めた全社的な取り組み,即ち,安全管理システム(ソフト要件) が必要であると判断するに至り,ISMコードが制定された。1994年 (平成6年)にIMOにおいて採択されたSOLAS条約には,新たに 「船舶の安全運航の管理」が第9章として追加され,その中に「会社は ISMコードの要件を満たすものでなければならない」と規定されてい る。このコードの国内法令として、1998年(平成10年)1月1日 から「船舶安全法施行規則」の第2章の2に「安全管理手引書」が規定 され施行されている。 従来、「一旦,港を離れると何が起きるか分からない」という伝統的 な考え方から管理は、船長個人の責任により行われ、マニュアル的管理 は不適当とされてきた。しかし、ISMコードは,管理責任を会社にお いた。このことは、革命的な変化であった。船主または船舶の安全に関 して責任を有する者(会社)に安全管理の実施を義務づけたのである。 具体的には,会社に対して,安全管理システム(SMS)の策定・実施, 陸上担当者の選任,安全運航マニュアルの作成・船舶への備え付け,緊 急事態への準備・対応手続きの確立,船舶・整備の保守手続きの確立を 行わせる一方,船長に対して船内における安全管理制度の位置付け,主 管庁などによる安全管理システムの審査,寄港国政府の行う審査 (PSC)などにより,その実効性を担保しようとしている。 適用船舶は,国際航海に従事する,すべての旅客船,高速旅客船,国 際航海に従事する500総トン数以上の,油タンカー,ケミカルタンカ ー,ガス運搬船,ばら積貨物船,高速貨物船,その他の貨物船,移動式 海底資源掘削ユニットとされている。民間では、外航船社はもとより、 多くの内航船社もこれを率先して実施しているが、航海訓練所の練習船 は,公用に供する船舶として安全管理手引書の備え置き義務を免除され ていた。航海訓練所は、自主的に安全管理システムを、自主的に安全管 理システムを導入・運用を開始していた。 このような国際的な趨勢のなかで、航海訓練所は、教育途上にある素 人同然の実習生が多数乗船しているにもかかわらず、この制度に準拠し た安全運航支援の実施が不十分であった。このため、海王丸から台風第 23号の影響で着岸を見合わせて錨泊した旨の報告があったとき、地域 の水路事情を入手しておれば、台風の動きを検討し、海王丸が極めて危 険な状態にあることが分かる状況であった。それも分からず、全てを船 長に任せたままであった。航海訓練所に、組織として安全管理に不十分 な部分があったことを残念ながら否めない。航海訓練所では、事故後、 直ちに海王丸事故原因究明・再発防止等委員会を発足させ、次に示す安 全対策[17]を打ち出した。安全管理システムを一層積極的に運用するこ ととした。 |
@ 不安全行動の防止と安全風土の確立 対策 1 航海訓練所における安全風土の確立を図るため、安全風土の 確立に向けた宣言を行うとともに、気付き支援などうっかり ミスや不安全行動を防止するための活動を推進する。 対策 2 ヒヤリハット・事故事例を広く収集・分析するとともに、セ イフティー・マネジメント・システム(SMS)を一層積極的に 運用するため、理事会に直結した『安全推進室(仮称)』を 設置するなど、安全推進体制を強化する。 A 乗組チームの機能強化 対策 3 乗組チームの機能を最大限に発揮させるため、OJT、BTM等教 育・研修内容を見直した上で、その新たなプログラムを策定 し、速やかに実施する。 対策 4 教育・研修等により、主として経験年数を重視したこれまで の人事管理を、能力や適性の評価を踏まえたものに変えると ともに、健康管理に一層配慮したものとする。 B 陸上からの支援体制の強化 対策 5 台風の接近に際しては、船側との台風情報の共有を図るとと もに、フェイル・セイフ対策の観点から船側の台風対策計画 を陸上側が把握し、必要に応じて助言するため、陸上側に台 風対策支援チーム(仮称)を設置する。 対策 6 台風接近時の各地避泊地情報を収集し、所内の共有情報とし て整理する。 対策 7 安全運航を促進するため、船陸間情報通信ネットワークを充 実強化する。 C 台風対策指針(仮称)の速やかな作成 対策 8 台風対策の基本的考え方等を盛り込むとともに、民間船社等 における台風対策や海難審判庁の台風海難に係る調査・分析 結果をも反映した台風対策指針(仮称)を速やかに作成する。 D 緊急事態を想定した演習の充実・強化 対策 9 海上保安庁など他機関との連携をも視野に入れ、法令に基づ く操練や演習に限らず、様々な緊急事態が国内外を問わず発 生することを想定した演習を充実・強化する。 |
事故に対応した的確な対策であると思われる。今後はその実行が期待さ れるが、現在までの対策実施状況は次のとおりで、引き続き各対策が着実 に進められようとてしていると聞き及ぶ。 (1)平成17年9月26日 各練習船の幹部職員一同が集合したうえ、 理事長から安全風土確立に向けた安全宣言を発した。事故を風化 させないため、10月20日を所内における「海王丸台風海難事故の日」 とし、毎年同日を含む週間において事故をレビューし、緊急対応 訓練等を集中的に行うこととした。 (2)同年 10月20日 台風対策指針(波漂流力に係る事項、海難審判 庁データ、民間船社の対応事例等を含む)を作成、各船に配布した。 同日を含む週間に、各職員が事故をレビューするとともに、陸上と 船隊が一体となって緊急対応訓練を実施した。 (3)同年 12月1日 理事会に直結した「安全推進室」を設置し、安全 風土確立に向けた活動を開始するとともに、ISMコードに基づく認証 を平成18年度中に取得することを目指して手続きを開始した。 (4)平成18年4月1日 避泊地情報を取りまとめたデータベースを構 築し、その活用を開始予定。事後情報を追加しつつ充実を図る。 (文責:山崎祐介) |
7.おわりに |
事故翌年の夏に朝日新聞が当時の実習生に対する取材を行っている[18]。 これを読むと、確かにこの事故は相当なショックであったが、これをかけ がえの無い経験として海の世界で頑張っているという紹介であった。これ を読み非常に安堵した思いがある。このまとめを試みた筆者らは、新旧の 違いはあるが帆船「日本丸」、「海王丸」による遠洋航海を含めた乗船実 習の経験者である。我々は、この帆船実習による経験が、その後の人生に おける大きな財産になっていることを、様々な局面で実感するものである。 筆者は学校卒業後に十数年の陸上職であったが、帆船での経験は様々な場 面で生かされた事を実感している。そして、最近になり商船学校の教育職 という立場になり、自分の教え子達が同様の帆船実習に旅立つ時は、「と にかくあなた達の人生のピークになる時なのだから、何でも吸収して頑張っ てこい!」と感慨を持って送り出し、また、こうした学生がたくましくな り帰ってくることに非常に喜ばしく感じるものである。 しかし、当然の事ながら船の世界は安全な航海ばかりでは無い。筆者は 東京商船大学に昭和58年に入学し(航海学科35回生)、カッター部へ所属し ていた。このカッター部では、毎年の春休みには千葉県南房総にある同大 の富浦臨海実験実習場で合宿練習を行っていた。筆者が大学の1年生から2 年生になろうとしている春休みであったが、この時に同じく合宿を行って いたウインドサーフィン同好会の学生が海上練習で沖に出たまま行方不明 になるといった事態があった。結果として、この学生は一晩の漂流の後に 漁船に救助され無事であった。当時、筆者は、まだ低学年であり、何がど うなっているのか全く分からない状態であった。そして、この事件の顛末 については当時同大の航海学科教授の巻島勉先生(現在、同大名誉教授)が 海技者の視点から見た詳細なレポートをまとめておられる[19]。ここでは、 事実の時系列的な記載、その時の気象海象や捜索方法に対する考察等が詳 しく示されている。また。こうした事件が起こった時の、実習船や事務ス タッフを含めた関係者の組織的な対応の有効性が示されている。筆者は商 船大の高学年になり、このレポートを改めて読んで、事故が起こった場合 にはいかに冷静かつ的確な、そして組織的な対処が重要であるか、またこ の記録を残すことの重要性を痛感したものである。巻島先生は、このレポ ートの最後に「東京商船大学は、海の大学である。今後とも、授業あるい は課外活動で、大いに海に親しんでもらいたい。ただ、陸上とは異なる特 殊性・危険性のあることを常に忘れないでほしいと願って、この文章をし たためた。」と記されている。こうした記録を、次世代のために残す事は 非常に重要であると感ずる。実は、筆者自身も海難の経験者である。東京 商船大学のカッター部では夏季の伝統行事として、ピンネスによる相模湾 の帆走巡航を行っている。筆者は昭和63年の4月に「日本丸」の実習を終え て、東京商船大学の大学院へ入学していた。そこで、この年の巡航に参加 していたが、伊豆半島の八幡野港から稲取港へ向かう途上、沖合い約2海里 で強風にあおられ、20数名が乗船していたカッターを転覆させてしまう事 故を起こしてしまった。結果として、約2時間の漂流の後に地元の漁船に救 助され、全員が無事であり、大事には至らなかった。ここで、当時最上級 生であり、指導的立場にあった筆者としては相当につらい思いをしたもの である。しかし、その時には先の巻島先生のレポートや練習船実習で学ん だ、まずは最善な対処を行うことと、後輩達を明るく励ます事に勤めた。 その後、これを教訓とすべく、大学院在学中に図書館の海難関連の書籍を 相当に読み漁ったものである。これは、その後の陸上職、また現在の商船 教育職においても、大きな財産になっているものである。ここで、筆者の 大きな悔いは、ここで紹介させて頂いた川島氏や巻島先生のような、事実 の経過、起こった事実に対する分析、そして反省と将来への提言・・・、 こうしたものを網羅した詳細な報告を残していないことである。「練習帆 船 大成丸史」[20]を読むと、明治の初期から始まった帆船実習の、時には 大きな犠牲を伴った、苦闘の歴史を知ることが出来る。そして、これにめ げずに常に前を目指した偉大な先輩達に大いに敬服させて頂いた。 筆者らの目の前で起こったマザーシップである「海王丸」の座礁事故直後 に、実際の現場を間近に見て、救助活動を支援して乗組員や実習生と間近 に接した我々には、我々の視点から見た、こうした詳細記録をまとめる義 務があると感じる次第である。読み方によっては、航海訓練所を責めると いうように捉えられるかもしれないがそうではない。「1.はじめに」に も述べたように事故は責めてなくなるものではない。安全運航を教える同 僚としての、筆者らの意気と目指す所をご理解頂きたい。 最後に本論をまとめるに当たり、富山商船高等専門学校名誉教授の吉田 清三先生からは多くの貴重なご意見を頂きました。また社団法人海洋会 富山支部、富山商船高等専門学校の皆様には多くの励ましと貴重なご意見 を頂きました。同校技術職員の山下恵氏、浦恵理夏氏には資料作成及び 文章構成にご尽力を頂きました。また富山地方気象台、伏木富山港湾事務 所からは気象海象のデータ、朝日新聞富山支局からは事故時の写真のご提供 を頂きました。ここに厚く御礼申し上げます。 (文責 千葉 元) |
主な参考文献 |
[1] 気象庁HP:http://www.jma.go.jp/jma/index.html [2] 藤井勉、大澤輝夫、石田廣:「台風0423号による海王丸海難時の気象状況」、 日本航海学会2005年度秋季研究会・海洋工学研究会、平成17年10月 [3] 富山地方気象台HP:http://www.tokyo-jma.go.jp/home/toyama/ [4] 川島裕:「伊勢湾台風との死闘二十四時間」、船と気象 第178号、 (財)日本気象協会、平成5年1月 [5] 川島裕:「伊勢湾台風との死闘二十四時間(続)」、船と気象 第179号、 (財)日本気象協会 、平成5年7月 [6] 能沢源右衛門:「新しい海洋科学」pp.172、成山堂書店、平成11年12月 [7] 能沢源右衛門:「新しい海洋科学」pp.174、成山堂書店、平成11年12月 [8] (財)日本水路協会「日本近海1000mメッシュデジタルデータ 北海道・ 東北海域」 [9] 吉田清三:「富山湾の海難と寄り回り波」,(有)日本海印刷,1987年8月 [10] http://wxw.miyazakycom.com:(株)I.B.C/宮崎マイコンショップ ホームページ [11] 能沢源右衛門:「新しい海洋科学」pp.177〜178、成山堂書店、平成11年12月 [12] 伏木富山港湾事務所HP「波浪観測情報」: http://www.pa.hrr.mlit.go.jp/toyama/harou/harou.html [13] 海と安全:「日本海難防止協会」,2005.No.525 [14] 「日本海中部海域主要港湾における錨泊船舶の安全対策に関する調査研究 報告書」,日本海海難防止協会,平成10年3月 [15] 「日本海中部海域における避泊地及び錨泊方法に関する調査研究報告書」, 日本海海難防止協会,平成14年3月 [16] 海上保安庁水路部:「本州北西岸水路誌」 [17] 「海王丸台風海難事故に係る再発防止対策について」:独立行政法人 航海 訓練所HP:http://www.kohkun.go.jp/accident/new_action.html [18] 「海に生きる 海王丸事故それから」、朝日新聞(富山版)平成16年10月 [19] 巻島勉:「ウインド・サーフィン事故に係る分析」、東京商船大学「学生部 だより」第23号,昭和59年10月 [20] 大成丸史編集委員会:「練習帆船 大成丸史」、成山堂書店,昭和60年10月 |